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天神さまについて
ご生涯
菅原道真公は承和12年(845)年、菅原是善の三男としてお生まれになられました。学者の家に生まれられたことより、幼いころから才能を発揮し、文章博士となられました。
また、大変誠実なご性格でおられたことから周りからの信頼も厚く、さまざまな官職もお就きになられ、着実に成果を上げられました。讃岐守(さぬきのかみ:現在の香川県県知事に相当)でのご事績や、自らの恩師を守るため奔走された阿衡の紛議などが著名です。これらのことが評価され、昌泰2年(899)遂に右大臣にまで昇進されました。
しかし、元々政治を掌握していた藤原氏からは妬まれ、昌泰4年(901)左大臣であった藤原時平の策謀により、大宰府に左遷されました。ですが道真公は決してどなたも恨まれず、天下泰平を望まれながら延喜3年(903)波乱の生涯を終えられました。
道真公の誠実で清らかな人柄と晩年の不遇はさまざまな伝説を生み、「天神さま」として崇められていきました。当初は怨霊として恐れられていましたが、元来のご性格により、段々と「正直の神」「芸術の神」そして「学問の神」と仰がれてきました。
道真公が常に大切にしておられた「誠の心」は、明治維新の吉田松陰先生をはじめ様々な志士たちの模範となり、今もなお日本人の心の中に生き続けています。
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